つけあがるんじゃないよ

機嫌の悪い人とか困っている人が近くにいるとつい

その人のご機嫌を取ったり

先回りしてお困り要因を取り除こうと躍起になるんだけど

結局は相手のニーズとは的が外れていて徒労に終わる

徒労に終わるだけではなくご機嫌を取ると相手はどんどん調子に乗ってつけあがる

「こいつはワタシの思うがまま」

「こいつよりワタシの方が上」

みたいな態度をとってくる

 

いい気になってんなよ

つけあがるんじゃないよ

 

平和主義だと自分で思っているだけで

相手にとっては鴨葱か

 

相手のご機嫌取るなんてばかばかしいからやめる

相手はこどもみたいに幼稚に駄々こねてるだけなのにそれを正当化してくるからな、大人ぶって

Facebookやめようか・・・でもつい覗いてしまう

Facebook

一日に何度か覗いてみたくなる

みんなどんなことしているのか?社会でどんなことが起こっているのか?

そんなことが気になるのと他人の投稿を読むと情動があって暇つぶしになる

しかし結果は大体同じで幸せ投稿にうんざりするのと同ででもいい広告がうっとうしくなって吐き気がして画面を閉じる

 

SNAは取った首置き場でゲロ吐き場

そんな表現をする作家の書物を読んで共感して笑顔になる私

そんなもんよね

 

ちっぽけな人間だと自分を蔑むんだけど

私だけじゃなくてみんなちっぽけだよね

だって人間だもん

否定拒絶するのはしんどい

嫌いなものは嫌い

受け付けない受け入れたくない

嫌いなもの・人にカテゴライズされたものや人との接点を避ける

嫌いなものは使わないし嫌いな人とはコミュニケーションも取らず同じであることを避ける

いわば坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

だけど受け入れまいと踏ん張っているのもなかなか心身のエネルギーがいる

どこかのタイミングで受け入れない自分を固辞しなくてはならず我慢が付きまとう

嫌いなものとも多少の接点があり生活の中で嫌いなものを絶対に受け付けないことにも我慢が必要になる

我慢はしんどい

絶対に受け入れない姿勢を一定期間貫けばそのあとは体制を緩めるのが自分のためである

それを自分が負けと捉えたり自分を甘やかすことと捉えるから複雑な気持ちになってまた考え込んでしまうのだけれども

単純に自分が楽になることを優先したら好きも嫌いもどうでもよくなる時がくる

一時期のアレルギー反応

アレルギー反応を示す私はポリシーがあってかっこいい

なんてことはない

アレルギー反応が収まったらまたもとに戻るものだから

それでいいって結論付けると善悪の判断になっちゃうけど

善悪なんてどうでもよくただ自分が楽になる生き方がしたい

ただそれだけ

 

どうしようもない日

Ⅱの部作成自信ない

何をやったらいいのかわからない

自分が仕上げた個所を他の人が手を加えて格段にいいものに仕上がっている

私って駄目なんだ

 

息子が病みあがらない

ずっと頭痛を訴える

ご飯を食べられないらしい

私の実母が作ったお寿司を持ってきた

息子が喜んでたくさん食べている

私の作ったものに食欲はわかないけど祖母のものには沸くらしい

私って駄目なんだ

 

よし上出来!

誰かから私は良くやったって私の価値を認めてもらえるよきっと

有頂天になる

でも現実はそうじゃない

褒められるどころか貶される

ダメなところばかり指摘されて気張りどころを認めてもらえない

私って価値ないんだね

 

今日はそんなこんなで随分と落ち込む日

寒くて雪が降って空がねずみ色

お天道様からも見放された

過去を捨てる

後1週間で50歳。

50年の軌跡を持ち続けるから足取りが重い。

これを機にこれまでの半世紀を捨てようと思う。

これからは軽やかに人生を歩みたい。

今この瞬間を楽しみたい。

どの瞬間もここにいることに感謝して幸せを感じていたい。

こうしている間にも秒単位で出来事や感じたことが過去のものになっていく。

過去のものにとらわれない。

今呼吸をしている己を感じここにいられることや、私を取り囲む環境の有り難さを感じていたい。

立ち止まらないしがみつかない

嫌なことは忘れがたいのではなく

忘れないようにしがみついてる

手放さずに握りしめてるとでも言おうか

それを心の傷と言ったりもしている

心傷が癒えない自分に憐憫の情をかけて可哀想な存在にしている

そうすることで自分に不利なことがあった時に言い訳できるから

一種の逃げ場じゃないかと思う

嫌なことは忘れていい

嫌なことにしがみつかなくて大丈夫

嫌なことは手放そう

青空向いて手をぱっと広げて

さあ空気に溶けて風に乗ってどっか行けーって