他人に親切にする私はバカだ

いいよ私不幸になってやる

他人が嫌がる仕事をしてあげるし

他人が機嫌良くなるようなことしてあげる

私を不幸にした相手はきっと将来バチが当たって酷い目にあうんだよ

嫌なこと引き受けて他人のために役立ってあげた私はみんなから慕われて将来幸せになるんだ

そんなこと思いながら他人に親切にしていた

でもならなかった

他人は不幸になるどころか普通に幸せに暮らしている

不幸から一転して幸せになるはずの私は普通に不満ばかり抱えて不幸せ

我慢なんてするもんじゃない

見返り求めて人に親切にしても見返りなんて何もない

ただ惨めな自分が残るだけ

だったらば

嫌なことはしない

痛いこと、辛いこと、我慢なんてしない

私が笑顔になれることをする

他人の幸せよりも自分の幸せの方が先じゃないか

自分を責めず自分の味方でいる、ということ

メールのやり取り。自分の考えを書く。相手の反応がない。あれ?私の考え間違ってたのかな?否定されるのかな?打ちのめされるのかな?

 

相手から私の考えを否定されたら、私の考えが間違っている、私はなんて浅はかな考えをしたのか、どうして物事をもっと俯瞰できないのか、私はなんて能力が低いのか云々と自分を否定する癖がある。

 

大体相手が「正」で私は「誤」。

 

浅はかな考えしかできず誤ったことを考え主張した私が悪かった・・・と、次に善悪の判断を下す癖がある。大体相手が「善」で私が「悪」。

 

私の考えなんて取るに足らないくだらないことだと自責する。ドツボにはまる。奈落の底に落とされた気分になる。私なんていなくなればいいのにって思う癖がある。

 

なんでわかってくれないのか?と悶々とする。他人にわかってもらいたい?仮に他人が「あなたの考えは真っ当だ」と言ったとして、私はそれを素直に受け止められるか?答えは否だろう。私に媚びを売っているとか、うまいこと言ってリップサービスとかお慰めに違いないと疑うのが私の常。

 

なんでわかってくれないのか?私のことわかってよ!その思いはただひたすらに自分自身に向かっているのだ。私のことを受け入れていないのはこの私。私の味方にならず常に反対勢力に加担しているのはこの私。

 

私は私を他人の立場で観て、他人の立場で私を断罪してきた。「お前が悪いんだ!」と。

 

だから辛い。四面楚歌、断崖絶壁、孤独、味方なんてない、私は一人ぽっち、そんな気分になって自分をどんどん追い詰める。

 

他人が否定しようと非難しようと何と言おうとも、私が私の味方でいれば済むことじゃないのか?

 

いつからこんな悪のループにはまってしまったんだろう?と遡るといつも目に浮かぶ光景がある。それは母にこっぴどく叱られ、酷い言葉を投げつけられた数々の場面。今でも思い出す昔住んでいた家の様子、母の表情、母の言葉。そして父の無関心。

 

そんな場面で私は自分を守るよりも、母の立場で私を断罪することを選んだ。母と一緒になって母の気に入らない私を悪者にした。私さえ居なければ…悪い私が改善すれば…何の役にも立たない私が将来母の役に立てればいいのだ…何か価値のある人間になるしかないんだ…価値ある人間とは、両親の役に立ち、お金を自分で稼いで、自立して、なんでもできて、社会から必要とされる人、誰からも文句言われずオール5みたいな完璧な人、そんな人間になればいいのだ。

 

そんな人になろうと頑張ってきて辛くないわけはない。物心ついてから数十年。辛くない日なんてないと言ってもいいくらい。ここからは辛い感情とはさようなら。

 

これまで辛い思いをした自分にそっと手を差し伸べ、つらかった自分の手を握りしめ、私の味方になれなかったことを私に謝り、私と仲睦まじくやっていきたい。

 

どんなことがあっても私の感情を否定しない。私を守ろうとする私を止めない。私は私の味方でいる。

 

 

 

ワーキングマザー

23年3月期からサステナビリティ情報を有価証券報告書で開示することが強制されるらしい。

 

SDG’s、ダイバーシティジェンダー平等とか時流に乗って開示する情報として女性雇用、女性の重要ポストへの登用云々がスポットを浴びている。

 

有価証券報告書での開示例を見ると「ワーキングマザー比率」とやらを公然と記載している上場企業があるじゃないか。

 

ワーキングマザーって・・・

 

ワーキングファーザーとは言わないくせに。

 

「ワーキングマザー」が働きやすい環境ですって言いたいんでしょうけど、なんで女性だけにワーキングを付けるのか?人の親になっても女性も男性も労働するのに?

 

ワークの定義は何なんだ?ワーク=家の外で働く、家事労働以外の労働?

 

ワーキングマザーという特別枠を悪用する人が身近にいて不快な思いをしている人がワーキングマザーに対して罵詈雑言を投げる。

 

特別枠ってよろしくないよなー

 

そもそもワーキングマザーって言葉は、育児中の女性でも働きやすい環境を整えましょうという必要性が根底にあって出たもので、それは相手の事情を勘案しましょう、お互い事情があるから尊重しましょうというのが源流ではないのか?

 

だったらワーキングマザー枠をこしらえなくても多様性で包含できる概念ではないのか?

 

女性の社会進出が当然の日本(韓国も?)以外のアジアの国でこんな言葉あるんだろうか?少なくとも私が勤務経験のあるベトナムでこれと同等の言葉を聞いたことがない。

 

だって、子どもが居ようといまいと、育児しようとしまいと、女性が家庭の内外で働くのは当たり前の社会だから、だと思う。

 

そんなこんなでわが社のワーキングマザー比率は・・・なんて公然と言う会社はそもそも男尊女卑思想が根付いている会社で、わが社はそんな思想がありますと公言しているようなものだ、と思う。