自分を責めず自分の味方でいる、ということ

メールのやり取り。自分の考えを書く。相手の反応がない。あれ?私の考え間違ってたのかな?否定されるのかな?打ちのめされるのかな?

 

相手から私の考えを否定されたら、私の考えが間違っている、私はなんて浅はかな考えをしたのか、どうして物事をもっと俯瞰できないのか、私はなんて能力が低いのか云々と自分を否定する癖がある。

 

大体相手が「正」で私は「誤」。

 

浅はかな考えしかできず誤ったことを考え主張した私が悪かった・・・と、次に善悪の判断を下す癖がある。大体相手が「善」で私が「悪」。

 

私の考えなんて取るに足らないくだらないことだと自責する。ドツボにはまる。奈落の底に落とされた気分になる。私なんていなくなればいいのにって思う癖がある。

 

なんでわかってくれないのか?と悶々とする。他人にわかってもらいたい?仮に他人が「あなたの考えは真っ当だ」と言ったとして、私はそれを素直に受け止められるか?答えは否だろう。私に媚びを売っているとか、うまいこと言ってリップサービスとかお慰めに違いないと疑うのが私の常。

 

なんでわかってくれないのか?私のことわかってよ!その思いはただひたすらに自分自身に向かっているのだ。私のことを受け入れていないのはこの私。私の味方にならず常に反対勢力に加担しているのはこの私。

 

私は私を他人の立場で観て、他人の立場で私を断罪してきた。「お前が悪いんだ!」と。

 

だから辛い。四面楚歌、断崖絶壁、孤独、味方なんてない、私は一人ぽっち、そんな気分になって自分をどんどん追い詰める。

 

他人が否定しようと非難しようと何と言おうとも、私が私の味方でいれば済むことじゃないのか?

 

いつからこんな悪のループにはまってしまったんだろう?と遡るといつも目に浮かぶ光景がある。それは母にこっぴどく叱られ、酷い言葉を投げつけられた数々の場面。今でも思い出す昔住んでいた家の様子、母の表情、母の言葉。そして父の無関心。

 

そんな場面で私は自分を守るよりも、母の立場で私を断罪することを選んだ。母と一緒になって母の気に入らない私を悪者にした。私さえ居なければ…悪い私が改善すれば…何の役にも立たない私が将来母の役に立てればいいのだ…何か価値のある人間になるしかないんだ…価値ある人間とは、両親の役に立ち、お金を自分で稼いで、自立して、なんでもできて、社会から必要とされる人、誰からも文句言われずオール5みたいな完璧な人、そんな人間になればいいのだ。

 

そんな人になろうと頑張ってきて辛くないわけはない。物心ついてから数十年。辛くない日なんてないと言ってもいいくらい。ここからは辛い感情とはさようなら。

 

これまで辛い思いをした自分にそっと手を差し伸べ、つらかった自分の手を握りしめ、私の味方になれなかったことを私に謝り、私と仲睦まじくやっていきたい。

 

どんなことがあっても私の感情を否定しない。私を守ろうとする私を止めない。私は私の味方でいる。